■寺社 |
安倍文殊院 |
日本三文殊の一つで、安倍倉梯麻呂の
氏寺として建立。桜の名所として有名です。 |
大神神社 |
大和において最も古い神社の一つで
本殿はありません。三輪山信仰のルーツ
は縄文や弥生にまで遡ると考えられています。
その昔、三輪山麓を中心に栄えた三輪王朝が
あったとされています。
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笠山三宝荒神社 |
山の辺の道に散在する社寺の三宝を守る神
で、長谷寺の奥の院としても有名な神社です。 |
談山神社 |
645年の5月、多武峰の山中において
「大化改新」の談合が行われた事から
「談い山」や「談所ヶ森」と呼ばれ名前の
由来となりました。
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長谷寺 |
牡丹の名所でもあり、4月下旬〜5月上旬
には牡丹の花が満開となります。
また古典文学にも多数登場しています。 |
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■歴史 |
三輪の大鳥居 |
国道169号線沿いにある高さ約32mの
巨大な鳥居です。 |
金屋の石仏 |
2体の石仏は右側が釈迦如来像、左
側は弥勒菩薩像で平安時代後期から
鎌倉時代に造られたものとみられてい
ます。 |
天誅組志士の墓 |
近鉄朝倉駅付近に前田篤志と関為之助
の天誅組志士の墓があります。2名は
五条代官所を襲ったあと、桜井市慈恩寺
まで逃れ、この地で藤堂藩士に討ち取ら
れました。 |
倉橋溜池(竜吟鏡) |
奈良県最大の溜池である倉橋溜池が
の近くには万葉歌碑が建っています。 |
土舞台 |
聖徳太子が「国立の演劇研究所」と
「国立の劇場」を設けた場所です。
少し離れた近鉄桜井駅には
「芸能発祥の地」という碑が建っています。 |
仏教伝来の地碑 |
泊瀬川畦一帯は、日本に初めて仏教が持ち
込まれた地です。 |
海石榴市跡
【つばいちあと】
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古代、飛鳥や難波に向かう道が合流する
交通の要所として栄え、わが国最古の市
とされる海石榴市が開かれていました。 |
訳語田の舎
【おさだのいえ】 |
謀反の罪に問われた大津皇子が死を賜った
とされる場所です。 |
磐余池跡 |
大津皇子が処刑される際に詠んだ辞世の句
「ももづたふ磐余池に鳴く鴨を今日のみ見てや
雲隠りなむ」はこの辺りで詠まれたとされてい
ます。 |
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■古墳など |
桜井茶臼山古墳 |
後円部が北側に、前方部が南側になってい
る前方後円墳です。出土した副葬品から
4世紀初頭に築造されたと考えられ、磯
城地方の王者の墓であると考えられます。 |
崇峻天皇陵(倉梯岡陵) |
崇峻天皇が現在の桜井市倉橋にて宮を
営みました。近くには金福寺という寺があ
って、倉椅柴垣宮跡だといわれています。 |
纒向古墳群 |
20数基の古墳が集まっていて、この中で
前方後円墳と判別できるものは、箸墓
古墳・纒向石塚古墳・矢塚古墳・勝山古墳
東田大塚古墳・ホケノ山古墳があり、これら
の総称を「纒向古墳群」といいます。 |
山田寺跡 |
蘇我倉山田石川麻呂が建てたお寺です。
法隆寺よりも半世紀も早くに建てられた日本
最古の木造建造物ですが、本尊と薬師如
来は興福寺に移され、今は仏頭だけが残って
います。回廊連子窓は、飛鳥資料館に展示
されています。 |
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■散策コース |
山の辺の道 |
歴史上に登場する道の中では日本最古の
道といわれています。桜井→天理→奈良に
いたる約37キロ。 天理以南の約16キロが
一般的に「山の辺の道」と呼ばれていて大
神神社、玄賓庵、桧原神社、景行天皇陵、
崇神天皇陵、長岳寺、石上神宮などが点在し
ています。 |
多武峯街道 |
桜井の中心部から南へ約8キロ、談山神社ま
での道が多武峯街道と呼ばれています。
聖
林寺・
不動の滝・屋形橋を渡り東大門が見え
ると談山神社までもう少しです。 |
磐余の道 |
桜井の中心部から南へ約7キロ、明日香の石
舞台までの道が磐余の道(あるいは山田道)
と呼ばれています。桜の井、若桜神社、艸墓
古墳、土舞台、安倍文殊院をたどります。また
磐余の道を少し外ると谷首古墳、メスリ山古墳
コロコロ山古墳があります。磐余の道に戻り、
安倍寺跡や山田寺跡があり、明日香に入ると
石舞台があります。 |
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